広陵町の靴下産業は明治43年(1910年)に馬見村疋相の吉井泰次郎が手回し型の編立機を導入した工場を作ったことから始まります。
初期は農家の副業であった靴下づくりは、近代の機械化の中で常に最新技術を導入し、大正6年には年間28万足だった生産量は平成元年には1億足以上に成長し「靴下生産量日本一」の町となりました。
明治・大正・昭和初期の洋装の多くは制服でした。靴下職人も学生服や軍服用の靴下づくりを中心に技術を培い、戦後に訪れた高度成長期には、その高い技術力と安定した品質を求めて世界中からバイヤーが訪れました。
広陵町の靴下産業は、国内だけでなく、海外ブランドを含む世界の靴下づくりを卓越した職人技術で支える存在になりました。
昭和期に洋装が一般的になると、様々なファッションスタイルが生まれ、最新のトレンドに合わせて靴下のデザインも変化し、時には「三つ折り靴下」や「紺ハイソックス」「ルーズソックス」「レギンス」等、靴下がトレンドをリードしました。また、近年ではスポーツ用や医療用、冷え取り、五本指、着圧等、履く人のお悩みを解決する様々な靴下も多くが広陵町で作られ、その度に、職人は技術力を高めてきました。
100年以上の靴下づくりを通して世界中の人の足元を守ってきた広陵町では、現在「骨折ゼロの町」を目指して、産官学が連携した転倒防止の研究に取り組んでいます。
公立小中学校で成長期子どもの「土踏まず」の形成や足の握力を測定、分析し、研究発表や講演会などを通じて、発進することに加え、基礎データとして安全で安心な靴下づくりにも活用して参ります。
安価な靴下の生産拠点がアジアに移り、広陵町では技術を活かした高品質なオリジナル靴下づくりが始まりました。靴下工場が自らブランドを掲げ、履く人に寄り添ったこだわり靴下が、高い専門知識を持った職人によって、日々生み出されています。
「広陵くつした」は、このような産地オリジナル靴下の中から、お客様が安心して手に取っていただける靴下ブランドを独自の基準で認定した地域ブランドです。